YSくまざわクリニック院長のブログ

とにかく受診したいと思うクリニックを目指して

自分も患者になりました。①

勤務していた2016年2月末、毎年の職員健診を受けました。

いつものように自分の胸部レントゲンを診るといつもと違う所見が。。。。

「えっ!」・・・・・

右の肺に1cm程度の影がありました。

「腫瘍か?・・・まさか・・・」気が動転しましたが、

「自分の番が来たな。」と冷静な自分もいました。

院長先生にも相談しさっそくCT検査を受けました。

腫瘍の真ん中に黒い空洞があるタイプでした。放射線科の先生は「肺結核」と

診断されました。でも咳や熱はありません。

結核以外にも癌の可能性もありました。

「癌だったらやっかいだな。」と思いました。

原発の癌なら根治が難しく、転移性の肺癌なら末期癌です。

院長先生から呼吸器内科のスペシャリストの先生をご紹介頂き、気管支鏡検査や詳しい

血液検査を受けることになりました。

検査の時点では肺結核の可能性が十分ありましたので、個室のマスクして隔離され、

検査が終わるまでずっと隔離されました。

精密検査の結果が1週間後出るとのことでいろいろ考える辛い1週間となりました。

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院長がハートケアカウンセリングと出会ったきっかけについて

自分の子供が中学1年のある日、自転車で転び、頭をぶつけて帰ってきました。

頭は軽症でしたが、言動が幼くなっており、中学に入学してからの2か月間の記憶だけ

が完全になくなっていることに気づきました。小学6年生の記憶もまだらでした。

脳出血?後遺症?

翌日MRI検査や脳神経外科医の診察を依頼し、、、あせりました。

結果は異常なし、原因不明でした。

友達や担任の顔を忘れ、思い出せないのに、周りは自分のことを知っている。

このことがきっかけで息子は学校に行けなくなりました。

そのうち行けるようになるだろう。親は楽観的でした。

しかし、1週間、1か月、2か月、半年、1年・・・・・

担任教師、スクールカウンセラーに相談しても積極的な提案はなく、息子の学校に対す

る不安は逆にひどくなっていきました。

友人に会うことを避け、外出もしなくなりました。

息子に対して「なんで学校に行けないのだろう?」「勉強が遅れたら大変

だ。」「いい大学に行けなくなるぞ。」というあせり、不安、不満を息子にぶつけ

言い争いをするようになりました。

それから1年が経過したころ、YSメソッドによるカウンセリングと出会いました。

子供の記憶がなくなったのは頭を打撲したことが根本原因ではなく、中学受験のストレ

ス、親の過度の期待、おしつけが原因であったことがわかりました。

それから私の見方が変わり、そのままの息子でいいのだと思えるようになりました。

それから息子は変わり始め、現在高校に通学し中学時代の分まで

満喫しています。

このカウンセリングを福岡の困っている方々に広めみんなを元気にしたい!と

思うようになりクリニックを開業する決心をしました。

 

 

 

YSくまざわクリニックのハートケアカウンセリングとは?

当院で行っているハートケアカウンセリングは、

東京の「YSこころのクリニック」で行われているカウンセリングと同じカウンセリング

です。YSメソッドと呼ばれるカウンセリング方法です。

YSとはYasuyuki Satou 佐藤康行先生のイニシャルです。

佐藤康行先生が30年以上かけて作り上げたYSメソッド。

とてつもない効果を出しています。

一生使える目に見えない参考書です。

教えではありません。自分のなかに答えがあることを教えてくれます。

ですから、カウンセリングを受けてカウンセラーに治してもらうわけではありません。

カウンセラーはサポートをするだけです。

このカウンセリングで過去のトラウマや辛かった出来事により長年受けてきたマイナス

の感情をプラスに変えることができます。

自分は意識していなくても、マイナスの感情がたまってくると、その人が持っている

自然治癒力を発揮できなくなります。

その状態がひどくなると体にSOSとなってからだの症状が出てくるのです。

眠れない、食欲がない、音に敏感になる。風邪ひきやすい。朝起きれない。

辛かったことを辛いと思わなくてよくなれば、心が軽くなり、すべてのことを

受け入れて、明るく元気に過ごすことができるようになります。

体調不良や病気は辛いですが、決して不幸なことではありません。

われわれにあることを気づかせようとしているだけなのです。

マンガ家の田中圭一さんが「自分の『うつ』を治した精神科医の方法」を読んで

10年苦しんだうつ病を克服できたそうです。

それは東京にあるYSこころのクリニックで院長をされている宮島賢也先生が書いたご本

でした。

そして田中さんが宮島先生に恩返しをするために完成させた本が「うつヌケ」という

マンガでした。

私も短い間でしたがYSこころのクリニックで宮島賢也院長といっしょに診療しておりま

した。当院のハートケカウンセリングを一人でも多くの方に受けてほしいと思っていま

す。

 

YSくまざわクリニックは、いろんな治療が受けられるクリニックです。

YSくまざわクリニックは、いろいろな治療をしているクリニックです。

「外科の先生なのに美肌治療やカウンセリングもしている。」

「外から見たらエステみたいな感じがします。」

「本当に内科の診察もしているの?」

「結局、何科ですか?」

という質問はしょっちゅうです。

友人から

「どれか一つにしたらどう?」

「いろいろしているから説明が面倒で患者さんを紹介できん。」

と言われることも少なくありません。

開業したいと思ったきっかけは・・・・

「病院でなかなかよくならない症状、こころが辛い方に、こころもからだも元気にする

提案ができるクリニックをつくりたい!」でした。

クリニックでは保険診療をはじめ、カウンセリング、栄養療法、点滴療法、美肌治療を

組み合わせた治療になりました。自由診療(保険が効きません。)が多いですが、病院

では受けられない治療法も含めてご提案し、患者さんがその中から選ぶことができるよ

うな診療を心がけています。

YSくまざわクリニックは、「今まで私が診察させていただいた患者さんの要望を具体化

したクリニックなのだ」と今この原稿を書きながら気づきました(笑)。

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2017年6月1日開業しました。

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 私は1992年に医学部を卒業し、2年間研修医として過ごしたのち、外科を専門に選び

スタートしました。

医学部5年生の時、見学に行った救急病院でアルバイトをしていた外科医が自分の人生

を変えてくれました。その先生はおとなしく、ひたむきで黙々と目の前の患者さんを診

察していく。。。手首の血管が切れて血が噴き出している患者さんにも動揺することな

く淡々と止血をしていく。

でも「自分のやりたい外科医療はまだできていないんだよ。」とぽつり。

かっこよかった。こんな外科医になりたいなあ。なれるかなあ?・・・・

その時点で外科医になることを決めたのでした。

幼少の頃の私は、けんかがきらいで、周りに空気がとても気になるタイプでした。

みんなで遊んでいても輪の中心より隅にいる人が気になるタイプでした。

いじめられている同級生がいればいじめっ子を注意したり(いじめっこが強すぎると黙

っていました。ごめん。)、落ちこぼれの友人がいると試験前にこれだけ覚えたら赤点

を免れるまとめを作って教えていました。自慢話ではありません。そういう人間でし

た。父親に性格が似ています。父親は進学塾の塾長でした。

そんな自分なので、外科医になりたての頃から、「治療法がない、不治の病、原因がわ

からない方」が気になって仕方がない医師になっていました。

同僚の外科医は一生懸命手術のスキルを磨くために切磋琢磨していました。

でも私は末期がんの患者さんがどうやったらよくなるか?手術できなくても他にいい

方法がないかと考えることが好きでした。

上司から「おまえは自分から積極的にするというより他人に頼まれると力を発揮する

タイプだね。」と言われたことがありました。褒められているのかけなされているのか

しばらく悩んでいましたが、最近この言葉が自分という人間をアピールするのに最も

いいフレーズと気づきました。この上司である医師は私の恩師です。